最近、ターミナルケアの原稿書きが多くなっています。病院や施設、自宅で最期を迎える人が多くなって、ターミナルケア、終末期ケアの本来の姿を、様々な取り組み例を社会に示すことが必要になっているからかももしれません。これまでに、ひつじ雲、くじら雲の利用者さんを、ご家族、医療者と共に何人を見送ったことでしょう。原稿の依頼内容は事例を細やかに書いてほしいとか、ターミナルケアとは何か等理論を中心に書いてほしいとか様々なのです。特に理論、根拠については、表現力が乏しい分、苦労します。おそらく,書くことが生活の一部の方と比較したら、10倍の時間がかかっているかもしれません。歳を取ったなー、集中力が低下したなーと、自分が徐々に高齢者の枠の中に入りつつあることが「成るほど、年を重ねるとはこういうことか」と納得できて来たように思います。
国は昨年の7月、日本の高齢者の寿命について発表しました。それによると、男性は初めて80歳を超え、80.21歳。女性は過去最高の86.61歳。2年連続の世界一だと言います。このような発表と共に、国は団塊の世代が75歳以上となる2025年を目途に、重度な要介護状態となっても住み慣れた地域で自分らしい暮らしを人生の最後まで続けることができるよう、住まい・医療・介護・予防・生活支援が一体的に提供される 地域包括ケアシステムの構築を実現していこうと考え、早いところは既に地域の中で具体的な取り組みをしているようです。
そして、先日の6月4日、有識者らで作る民間研究機関「日本創生会議」の分科会、「首都圏問題検討分科会」が、「首都圏高齢化危機回避戦略」の報告書に、一都三県(東京都、神奈川、千葉、埼玉県)の東京圏では75歳以上の高齢者が急増し、深刻な医療・介護サービス不足が起きるとして、高齢者の地方移住が提言されたのです。
非常勤で授業に出かける上智大学の学生に、この「首都圏高齢化危機回避戦略」ニュースをコピーして、自分が暮らす近くにいるお年寄りを想像してもらい、どうあれば本人の幸せに繋がるのかを若い感性で話し合ってもらいました。彼らから出されてきたキーワードは「本人主体」「尊厳」「地域での暮らし」「人との関係」でした。これらを地方に移住して暮らしたから回復できるわけではないと。
ここ数年、国が議論してきたことは何なのか。私の年齢に当たる第一次ベビーブーム世代が75歳を迎えるまで、あと9~10年です。今年2月市長は、産業振興会館で開かれた川崎市在宅医療市民シンポジウムの挨拶の中で、川崎はまだ若い都市。しかし、あと5年後には大きく様変わりすると思う。だから、高齢者の方々が急増する波について真剣に考え、取り組まなければならないと言うようなことを発言していました。介護人材の不足を少しでも回復させていくことが大切です。しかし、介護現場は他分野の景気の良さは確実に介護職員不足に更に大きな火をつけることは明らかなのです。これまで、何度か同じ経験をしてきました。
時間は待ってくれません。日1日と誰でも歳を重ねます、そして、歳を重ねることでできていたことが少しずつできなくなっていきます。しかし、信頼関係の中で細やかな働きかけをして、一時でも、良い状態に回復する、維持に繋がることはできると思うのです。私たちには長い時間をかけて構築してきた信頼関係が出来上がっています。私はこれまでターミナルにかかわるということは「お年寄りの生活をできるだけ変えずに、暮らし続けられるよう支えていく。小規模多機能型居宅介護は、そうした役割を担っています。看取りはその終着点なのであって、看取りを目的に介護するわけではない」と考えています。
これだけ増える生活者のお年寄り。地域に暮らす方々の力を借りて、お年寄り自身のできる能力を活用してもらい、地域の中で暮らし続けられる努力をしていこうよと呼びかけることが大切なのですね。しみじみ思います。